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2015秋 お仏壇・仏具大展示

2015秋 お仏壇・仏具大展示

2015-11-06 18:32:12

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新聞掲載記事

新聞掲載記事

2015-08-19 14:45:46

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当店のチラシ

当店のチラシ

当店のチラシ

2015-08-19 14:45:06

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オリジナル・ステンドグラス最高級浜仏壇三方開き (抽象デザイン採用)  正面にステンドグラスを初装着

ステンドグラス置灯籠・照明付

ステンドグラス置灯籠・照明付
サイズ H50cm×W・D10cm

 

ステンドグラス浜仏壇の全景

ステンドグラス浜仏壇の全景
サイズ H174cm×W147×D87cm

天井と脇戸の他、正面にはステンドグラス初装着

 

天井と脇戸の他、正面にはステンドグラス初装着

 

天井と脇戸の他、正面にはステンドグラス初装着

天井と脇戸の他、正面にはステンドグラス初装着

お仏壇内ステンドグラスのデザインテーマは「水と光」。
水玉をイメージした華麗なジュエル(玉)を多数使用しています。

2015-08-19 14:43:54

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成功する人、成功する企業

「成功する人 成功する企業 ・・・・盛運の法則十三ヶ条」(米本貢著 プロローグより)

初めに私の職業について話をします。私は、会計事務所を経営し始めてもう三十数年になります。現在では百人近くの職員と約1,600社の法人(会社や宗教法人・学校法人・医療法人・協同組合等)や、個人商店の関与先企業を対象に頑張っています。

 ところで仕事の内容ですが、税理士としてはどちらかというと税務対策を中心として、記帳整理や決算、税金の申告の手伝いや相談が中心となります。公認会計士の仕事は大会社の法定監査(証券取引法、商法で定められた監査)や小全社の任意監査をはじめ、企業の経営全般に対するアドバイスやコンサルティング、企業そのものを改善・向上させる手伝いのほか、新しく全社を設立したり個人商店の開業相談等、企業を新しく誕生させるための手伝いが主になります。また逆に、企業が経営に行き詰まって会社更生手続きに入ったり、和議や任意整理に入ったりした時の指導や調査をしたりもします。

特に私の場合は監査の仕事を中心とせず、税務や経営指導・経営相談等、主として中堅企業・中小発案を対象に、それらをとり巻く経営上のいろいろな問題について、百貸店的会計事務所を営業方針としています。少し長くなりましたが、これからこの本をお読みいただく上で、どうしても私の身辺を知っておいてほしいからです。

 ところで、こういう仕事をしていますと、関与先企業(顧問先ともいいます)の経営そのものの中に深く入り込んで仕事をするという形にならざるを得ません。したがって社長さんや商店主の方々やその家族の方だちとの人間関係も生まれ、個人的な相談に乗ったり、従業員やご師弟の仲人などを仰せつかることもあります。もちろん、当初は自分の役割をいかに十分に果たすかだけに腐心していたのですが、どうにか自分白身のペースや方法というものもでき始め、体験も増えてくるにしたがって、ふとあることに気づいたのです。

今から十四、五年ほど前だったでしょうか。
 きっかけは、私がさまざまな形で関わることになった縁談でした。私の事務所の職員たちの縁談、あるいは顧問先のご家庭の縁談の中にも、うまくいくケースとそうでないケースがあったのです。
 「縁というものは難しいものだなあ。似合いと見えてもうまくいかないこともあるし、その逆もある 何か不思議な力が働いているのかも知れない」
 私はそんな感想を抱きました。しかし、その不思議な力が何なのか。その正体については、明確なところはわからなかったのです。しかし、仲人として、結納を持ってご家庭ヘ伺ったり、式の細かい相談などで伺ったりする折りに、その不思議を解明するヒントがあることに気がついたのです。

 それは仏壇でした。
ご家族と話をする座敷の隣が仏間だったりする場合が少なくなく、どうしても仏壇に目がいきます.その仏壇と縁談の行く末との間に、確かな因果関係があることに、私は思い至ったのです。

 つまり、仏壇がいつもきれいに手入れされ、いつも瑞々しい花が活けられているようなご家庭の縁談は、最後までうまくまとまるのです。逆にお位牌にほこりが被っていても平気でいるようなご家庭の縁談は、何故かあとで離婚話が持ちLがったりする、これにはほとんど例外というものがありませんでした。

 「なるほどこんな共通項があったのか!」
 不思議の解明に一歩近づいた気持ちになった私は、今度はお墓を調べました。すると、まったく同じ現象があるのです。末永く連れ添うご家庭のお墓は、きちんと月に一度くらいはお参りしていることが窺われるのです。花も干からびてドライフラワーのようになっていることはありません。しかし、問題が生じるご家庭のお墓を見ると、周囲には草が生え放題、花も原形をとどめないほどに枯れ果てたままということがほとんどでした。

 仏壇とお墓を見れば縁談の結果がわかる。私は密かにその。「法則」に自信をもちました。
 しかし、そうした現象は縁談だけに見られるものだろうか、というのが次なる私の疑問でした。そこで私は顧問先についても、同じように調べ始めました。もし、稼業の繁栄に何か共通項が見出せれば、それは経営指導をする上での貴重なデータになります。もちろん、同一業種の顧問先がサンプル単位といえるくらい、ある程度まとまってあるというのが、データとしての条件になります。
 幸い、私の事務所には1,600社あまりの顧問先がありますので、病院関係にしろ、その他の業種にしろ、その部分はクリアできそうでした。つまり、どの業種をとってもサンプル単位に達しているというわけです。

 調査結果に私は目を見張りました。同じように一生懸命仕事をしていても、どうにも良い結果が出ないグループと、親子三代、四代と安定した企業経営が続いているグループが、はっきりと色分けできるのです。うまくいっているグループは経営の面だけではなく、本人はもちろん、ご家族が不慮の事故に遭遇するとか突然の死にみまわれるということもほとんどありません。それを分かつのが、お墓や仏壇に象徴されるご家族の生きる姿勢の違いであることは言うまでもありません。

 経営資源と呼ばれるものはいくつかあります、人、金、物、時間、情報などはそれにあたるのでしょう。会計事務所の業務としては、それらの効果的な使い方をアドバイスしたり、脱法や金融の知識を提供したりすることが本来の仕事としてあげられます。しかし、そうした実務に加えて、目に見えない成功の条件を提供することができれば、これほどすばらしいことはありません。

私が発見した法則は、その目に見えない条件にズバリあてはまる、私はそう確信しました。

 家業を繁栄させるための努力はだれでもしています。また、その努力を一定期間持続もします。
つまり、「努力×時間」という要素はだれもがクリアしているのです、しかし、繁栄させるためにはそれだけでは足りません。もうひとつ「X(エックス)」いう要素が乗じられてはじめて、繁栄が現実のものとなるのです.このXの中にはお墓や仏壇を大切にするということのほかに、いくつかの項目があります。
 それらはまた、家庭円満を実現するための項目(条件)にそのままスライドします。

 本書では、私が実際の経営指導の中で発見した法則と、その法則をかたちづくっている項目を余すところなく公開したいと思います。それを知り、実践すれば、読者は成功への道をひた走ることになるでしょう。何故なら、それはいろいろな書物やその他の情報をよせめ集めたり切り張りをしたりしたものではなく、会計事務所三十数年の経営体験と、顧問先企業1,600社の指導体験の生きた出来事そのものから得られた法則であり、項目であるからです。


*いかがでしたか?明らかにされた法則については、おいおいご紹介してまいります。乞うご期待。(編集部)

2015-08-19 14:19:10

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フリーパーシャス

フリーパーシャス

 

フリーパーシャス

フリーパーシャス

 

フリーパーシャス

2015-08-19 14:15:47

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「幽魂の物語った不思議なお話」 

●「幽魂の物語った不思議なお話」  「真言密教の霊魂観」佐伯泉澄著 p82-102

■幽魂の物語った不思議なお話
 これは浅野和三郎先生が書かれた心霊文庫「幽魂問答」、「続幽魂問答」(心霊科学研究会)の中に載っている、数百年前の幽魂(あの世の人)の語ったお話で、その一部をご紹介させていただきたい。

 ―天保十年(一八三九)七月四日の午後四時ごろ、筑前国(福岡県)志摩郡伎志浦の酒造家で庄屋であった岡崎伝四郎氏の長男市治郎氏は、曾祖父のお墓に参り、そのかたわらの少し東方を踏んだとき、急に総身に寒気を感じ、突然重い瘧(おこり、間歇熱かんけつねつ)にかかり、病の床に伏す身となった。そこで百方医療に手をつくし、またあちこちの神仏にご祈躊をしてもらったが、きき目は少しもなく、八月に入ってますます重体となり、身体は餓鬼のように痩せ衰えてしまった。さらに八月二十四日正午頃からは妙な身振り手振りをし始めたので、この上はこの地方で有名な神道の修法家、宮崎加賀守大門師にお加持をしていただこうということになって、船で迎えに行った。同日午後、その宮崎師に市治郎氏はお加持を受けたところ、ついに市治郎氏の□を借りて語った「泉 熊太郎」と名乗る、数百年前の加賀の国(石川県)の侍(幽魂)の奇しき物語である。

 その幽魂の語るところによると--
 「私が十七歳のとき、加賀の国に騒動が起きました。そのとき父は無実の罪を着せられて、上様(殿様)のお咎めをこうむり、お国払いの身となりました。その折、父が母に申し残したのは「この子は唯一人の息子であるから、必ず泉の家を再興するようにさせてくれ。そして上様からご下賜の中、この一振りの刀は家宝として、大切に息子に伝えてくれ」ということでありました。それを聞かされておりながら私は、父のお供がしたくて、母にたぴたぴ願い出ましたが、そのたびごとに母は強く引き留め「父一人を慕うために、代々の祖先の家を亡ぼすのはもってのほか、"もし国を出るならば、この母までも諸ともに勘当(夫婦・親子の縁を切ること)ぞ"との父の遺言であったから、必ず国を出ることは無用ですぞ」と、それはそれは強く母から引き留められました」といって、涙数行に及んだという。「そのように母が引き留めるのを私は聞き入れず、伝家の一刀をたずさえて国元を出て、諸国をめぐりめぐって六年ぶりに、芸州(広島県)バタというところで父に会うことができました。そのとき父は私を見て大いに怒り「お前が母のいいつけにそむいて家出したのは、とりもなおさずわが命に悖(もと)ったものである。お前は唯一の男子だから、お前よりほかに家を継ぐ者がない。早く帰って母を扶けて、家名を再興せよ。私は濡れ衣の乾くまでは死んでも国には帰れない身の上だ。コレ、よく聞くがよい。親として子を思わぬ者があろうか。また子として親を慕わぬ者があろうか。しかし今お前が私の後を慕うのは、孝に似ててはいるが、まことの孝ではないぞ……」と道理に立って父に戒められ、父の後について行きたかったのですが、ついて行かれませんでした。その夜父はひそかに船に乗って、どこか行方知れずになりました。あたりの者に聞き合わせますと、九州小倉に行く船に便乗されたとのことで、私もまた船で小倉に行きました。が、父は小倉には着いておらず、九十三日逗留して漸く父が着かれたので、一生懸命言葉をつくして随行を願いましたが、父は一言の返事もされず、肥前(佐賀県)の唐津に向けて急がれたので、私も後から父を幕って行きました。そしてこの地に来たのですが、父はこの地で船をやとい、単身唐津に向けて行かれました。そのとき、私に向かって「お前は是非ともこのまま本国に帰れ。一歩も随うことは叶わぬ。もしたって帰国せぬというのであるならば、もはやわが子ではないぞ」とまでいわれ、子として腸に通り、その旨を承ることにしました。しかし私は、父に随うことは許されず、といって国元へは帰りがたき子細もあり、ただ一人後に残された身は、進退ここにきわまって、遂にこの地で切腹して相果て、爾来ここに数百年、空しく今日まで無念の涙を呑んできました。我がなきがらは切腹のまま土中に埋められて、人知れず朽ち果てました」と述べて、悲しそうに涙を流したという。

宮崎師が「どうしてこのように長く当家にだけ崇りをするのですか?」と問うと、「当家に対しては云われがあって祟るのである。これまで当家に尋常でないことがしばしば起きたのは、皆私の魂気が遺骸の埋まっている地から通って来て、した仕業である。同じような災厄が代々起こったのは、皆私のするところであったのだから、早くそれと悟って祀ってくれたならば有難かったのだが、それに気のつく者のなかったのは残念なことであった。四年前に当家の祖父も、私の遺骨の上で大病にかかり、またこの市治郎も私の骨の上を踏んだので、私は瘧(おこり)となってその身に憑いたのである。二十三日の早朝に、私の魂の鎮まるところを知って砂を堀り、浜に捨ててしまったのは、無法な所置である。これがために私は行くべき拠りどころを失ったのである」と答えた。

 この「因由(いわれ)があって崇るのだ」というのは、熊太郎氏は国を出る時、黄金十一枚を持って出て、父を尋ねての六年間に半分ほど使って、切腹の時にまだ五両余りを持っていた。熊太郎の霊ははっきりとはいわないが、どうやらこの大金を市治郎氏の祖先が取ってしまって、この侍の葬式もしてやらず、お墓も建ててやらず、砂をかけて埋めたことに対する、無念さの積憤によるらしい。
 宮崎師が「そなたの願望はどういうことですが? 割腹のときは何歳だったのですか?また姓名は何と名乗っておられましたか?」と問うと、「私の願望は一基の石碑を建ててもらうことで、この一事さえ承諾してくださるならば、今夕、立ちどころにこの家を立ち退きます。私が切腹したのは二十二歳の七月四日でありました。私の姓名は武士の義の上から名乗るわけには参りません」といって、なかなか名乗ろうとしない。「姓名のない石碑を建てるわけにはいきません」と再三名乗るように迫ると、しばし涙を浮かべ、うつむいて考えた末「紙と硯を貸されよ」といって、墨をすり、紙面に「泉熊太郎」と書き「石碑の高さは二尺二寸にして、正面には七月四日と書いてくださればよい。この姓名は、必ず世に漏らしてくださるな心と念を押し、別に「七月四日との題字を自筆で書いたが、その筆勢は実に見事であったという。

宮崎師が「そなたは数百年間この地に住んでいたはずである。当時のことを聞かしてほしい」と問うと、「イヤ幽界に人った者は、顕世(この世)のことは非常に微かとなるのであって、顕世のことには与らぬのが掟である。ただ生きていたときに心を遺し、思いをこめたことだけは、霊魂となった後もよく知ることができる。これを知るから苦痛が絶えない、ということにもなるのである。ただし人体に憑いてその人の耳目を借りている間は、この世のことのすべてはよく知ることができる。が、その代わり幽界のことは微かしか分からなくなってしまうのである。さてこのように人の肉体を借りるにあたって、その人を悩ますのはどういうわけかというと、それはその人を悩まさないことには、人の魂が太く盛んであるから、私の魂の宿るべきところがないからである。気の毒ではあるけれど、私は市治郎を悩まして、その魂を片隅に押しやり、その空所に私の魂を充たしたのである。だから市治郎の肉体は今見られるように大病人の態であるが、内実は私の魂の宿となっているのである。およそ幽界から顕界に言葉を通ずるということは、尋常人のよくなしうるところではない。私は数百年の苦痛に堪えがたいので、このように人に憑いて頼みごとを頼むのである。いよいよ私の望みが遂げがたいということであるならば、市治郎が死んでしまうことは必定である。もし私の望みを叶えてくれるというのであるならば、四、五日の中にこの病気は平癒するであろう。病気の平癒を証拠として、石碑の建立を頼むことは叶いませぬか。もしそれさえ承諾されるならば、私は幽界に帰って、石碑の建立をされる日を待つでありましょう」と答えた。

 宮崎師は「誠にそなたは武士の魂であることは、もはや一点の疑いもありません。それは幽界の様子について、私の問いに答えていただきたい」とあの世のことを次にいろいろと尋ねることとなった。
その答えのうち、信仰上参考になると思われる次の五項目について、申し述べさせていただきたい。

〈お彼岸お盆には、ご先祖さまが帰ってこられる〉
吉富養貞医師「彼岸盆会には世俗皆霊を祀る習わしなるが、かかる折に幽魂は実際来臨するものにや」 
幽魂「彼岸盆会は世俗一統霊を祀る時と定めあれば、幽界にても祀りを受くべき時と思い、また死ぬ人も盆会には必ず来るものと思い込みて死ぬるが故に、必ず現れ来るなり。されど我らの如く無念にして相果て、死して祀られざるものは、盆会などには臨みがたし」

 吉富医師が「お彼岸やお盆には世間では皆ご先祖さまのみ霊祀りをする習慣がありますが、こういうときにご先祖さまの幽魂は、本当に供養を受けに帰っておいでになるのですか?」と尋ねると、熊太郎霊は「この世で五百年間も引き続いて行われている祭事は、幽界でも大体そのように定まっているものです。お彼岸やお盆には、世間一般の人々がご先祖さまのみ霊を祀るときときまっているので、あの世にいる幽魂の人たちもその供養を受ける時期と思っているし、また死ぬ人もお彼岸やお盆には必ず来るものだ、と思い込んで死んでいるから、必ずこの世に供養を受けに現れ来るものです。しかし私のように無念な思いで自殺して、死んでから正式に祀られていない者は、お彼岸やお盆の供養も、受けに行きにくいのです」と答えた。
 したがってお彼岸やお盆には、ご先祖さまはそろって帰ってこられるのだから、お仏壇にお供物を供え、お経やご真言やご詠歌を唱えて拝み、お墓に詣でて丁重に真心をささげて、ご先祖さまのみ霊祀りをして差し上げることが大切である。

〈お墓と幽魂との関係について〉
 幽魂「すべての幽魂常に墓におらざれど、その来るべきときには来ておるものなり。また初めよりその墓に鎮まらむと思い定めたる魂は常に墓におるが故に、それらの墓を発けばたちまちに崇るものと知られよ。また墓を掘りたるときたまたま幽魂がそこにおらずとて、後に来たりてその発かれたるを見れば、何人の業なるかはたちまちに知らるるゆえに、三年五年の後にても崇りをなすものぞ。また幽魂にして終に貴き霊となり、清浄の境に入りたる者、また上界の到るべきところへ行きおえたる者、あるいは主宰の神のお叶らいにて人間界に再生したる者、さてはまた悪事にのみ心を寄せ、獣類に生まれ変わりたる者などは、皆墓所との縁を離れたれば、その墓を発かれたりとて崇ることなし」

 宮崎神官が「たまたま農夫などか、石をもって畳み上げた古墳を掘り起こしたりすると、ある者はたちまちに崇られ、またある者は三年もたってから崇りを受けることがある。しかしときには墓を取り除けても、何の崇りもないことがある。これはどういう理由があってのことですか? "礼をもって葬られた人たちの幽魂は、人に崇りをするようなことはなく、また常に墓所にだけおるものではない"といわれたが、それならどうして崇るということがあるのですか?」と尋ねた質問に対する幽魂の答弁が、上掲の一句である。

 私はこの答弁を高く評価したいと思う。それは次の点が非常に参考になると思うからである。
①すべての幽魂は、いつでも墓の中にいるというものではないけれども、お墓参りに来てくれたときなどには、ちゃんと供養を受けに来ているものである。
②生前から、自分は死んだら自分の墓の中にいようと心定めた幽魂は、いつも墓の中にいる。そんな墓をあばけぱ、直ちに崇られる。
③あの世の幽魂のよりどころである墓を発きこわした者を、すぐかあるいは何年かたってからでも、幽魂は直ちに知って、この世のその者に崇りをして、こらしめる力がある。
④幽魂の中には、終に立派な貴き霊となって、清らかな境界や上界に上がる人たちがある。
⑤高位の神さまのお計らいで、人間に再び生まれてくる人がある。
⑥人を悩ます悪事を、この世でもあの世でも次から次へと考え、行う者は、獣類に生まれ変わる。
⑦それぞれ自分の行くべきところへ行ってしまった人たちは、簒を発かれても、もはや崇ったりはしない。


 以上のようなことを幽魂が語ったとしても、しかし凡人には容易に信じがたいことであろう。まず死んでもあの世があって生きている、と信じられる人たちが、果してどれだけあるのであろうか? あの世とこの世とは、次元が違い世界が違うから、なかなか信じられないのも無理がない。実は私もなかなか信じられなかったものである。しかし今の私は「あの世があるということを、どうか信じていただきたい。この幽魂の言葉を参考にしていただきたい」と申し上げたい。そうすることによりて、本当にこの世の自分の行為を正し、あの世までも責任を持つことができると思うからである。そしてあの世とこの世とは互いに関連しあっていることを知って、あの世の人たちをお慰めして、ご加護してもらうようにするところに、この世の人たちも安らかに生きられる、と思うからである。

 〈供養はあの世の霊に届く〉
 宮崎神官「さらば顕世より弔祭などすとも、幽界の魂には通ぜぬ道理ならずや?」
 幽魂「なかなか然らず。よく思われよ。神を祀り、魂を祀ることは、たとえ顕世の業なりとも、そは皆幽界に関せずや。かるが故に祭祀は神にも通じ、また幽魂にも通ず。……幽魂となりては衣食ともにその要なきが故に欲しき物もなく、ただ苦を願い楽しみを思うのみなり。さて祭事を行うにあたり、人々俗事を忘れつつ親しく楽しめる心は幽界に通じ、祀られし幽魂に感応してこれを歓ばしむ。歓べぱ自然に魂も大きくなり、徳も高くなり、祀り呉れたる人も幸福を享くるものにて、人より誠を尽くせば、その誠よく霊に通ずるものなり」

 幽魂が「幽界に入った者には、この世のことは微かな存在となるし、このように人の身体に憑いている間は、幽界のことは非常に微かしか分からない」旨を述べたので、宮崎神官は「それではこの世からあの世の霊に弔祭をしても、幽界の幽魂には通じない道理ではありませんか?」と尋ねた。
 すると幽魂は「いやいや、そうではありません。神仏を祀り、霊魂を供養することは、顕世の行為ではあるが、それは皆幽界に関わる行事であって、この祭祀は神仏にも、また幽魂にも通じます。幽魂となると、衣も食も必要がないので欲しい物とてはなく、ただ心の中の苦しみを離れて、心楽しく過ごしたいと思うだけである。さて祭祀を行うにあたって、親族縁者の人たちが、一日俗事の仕事を忘れて、神仏やご先祖さまのことを偲んで拝み、親しく語らったり、食事をともにしたりして、楽しんでいる温かな思いは幽界に通じ、祀られた霊魂にも響いてきて、楽しい安らいだ気持ちにしてくれます。この安らいだ気持ちになることが、自然に魂を大きくし、徳も高く向上することになり、それが祀ってくれた人たちに反射して、幸福に過ごせるように守護することにもなるのである。生きている人たちが真心をもってお祀りすれば、その真心はよくあの世の霊に通じるものである」と答えた。

 さらに幽魂は「私の命日は七月四日だが、その日は幽界にいてもよく知ることができる。これは私一人だけではなく、他の幽魂も皆自分の命日は知っているものである。したがって命日の祀りの日を勝手に改めて、霊魂に告げないで執行することは、よろしくない。特に延ばした場合に、霊魂が命日を思い出して供養を受けに来てみれば、何の祀りもしていないことになるからである。だから祀りの日を改めるときは、霊魂に人に話すように話して差し上げて、よく知らせておく必要がある。

またこの世で同時に数カ所で祀りを行うことがある場合には、霊魂は数個に別れて、各々その場所に行って祀りの供養を受けるものである。なお、常に墓地に鎮まっているのは、私のように無念な思いを心の中に抱いて死んだ者か、また最初からそのお墓に永く鎮まろうと思い定めた人たちであって、その数は至って少ない。墓地にいない幽魂の集まる場所はあちこちにあるが、それは現界で生きている者の知らないですむことである。死んでみると、生きていたとき考えていたあの世の世界とは大変に異なるもので、幽界の事情は生きている人々の耳目の及ばぬ世界である。しかしその事情は、死んだらすぐに知ることができるものだ。本当に人魂の行くところは地上にあって、空中ではない。もっとも空中にも幽界はあるけれども、そこには幽魂がすぐに行けるところではない。幽魂界は、例えば彦山のような人跡まれな清浄な土地、あるいは浜辺、あるいは島などの地上にある。これらは魔所などといわれて、人々が恐れている場所である。幽魂はこのような各所にそれぞれ集まっているが、尋常に帰幽した同気の者に限って、ある一か所に集まっている。それは居場所が同一というまでのことで、多くの人々の霊が一つに成るというのではない。各人皆別々である。もっとも志を同じくする人たちは幾人でも集合して一つになることはあるが、それは一時のことであって、いつまでも一つになっているものではない。要は離れたり集合したり、自由自在ということである。このように幽魂はお墓にのみいるものではないが、人々の供養のお祀りは容易に受けられるのである。それは百里も千里も瞬間に飛んで行けるからである。この飛行の方法にはいろいろあるが、いくら説明してみたところで、この世に生きている人には理解できない方法であろう。

ついでながら人の霊を祀るのには、墓または霊棚(仏壇)にするのが供養を受けやすい。神々(仏天)を祀るのには、神社{仏閣)または常に定められている一定の祭場にするのがよい」と述べている。また熊太郎霊は「我らの如き霊魂が幽界の事情につきて知り得る範囲は極めて僅かなり」といっているから、以上の一節も幽界の全部を尽くしているわけではもちろんないが、死後の生命の存続と、あの世の状態の一端を知る、一つの貴重な参考になる報告と思われる。

〈ご祈祷は災厄を消す〉
 山本参河神主「我らの祈祷にて災厄を免るるということは、如何にして知らるるや?」
 幽魂「祈念に依りて災厄を免るる根元の道理は、我ら如き幽魂の未だ知る能わざるところなれど、先月我らに神法御祓いなどを施されしがために、数百年間住みいたるわが墓地の頓かに汚らわしくなりて、再び住居しがたきまで昇級したるを見れば、その神法のいかに有難きものかは推して知るべし。一家の凶運もなどてこの法によりて消失せざるべき。かつ今は主人をはじめ、家内の者ども、心から過ちを悔ゆるの誠意あれば、開運の緒の開けんは確かなり」

 熊太郎霊は、八月二十四日の夜、市治郎氏から離れたが、九月十一日再び市治郎氏に憑霊し、翌十二日また物語をしたが、これはその中の一節である。

 さて岡崎伝四郎氏は酒造りをもって副業としていたが、醸造用の大かまどを改築しようとして用意していた矢先に、市治郎氏が大病となったので、工事は中止されていた。ところが上述のように市治郎氏がご祈祷のおかげでおいおいに平癒に向かったので、古かまどを取り壊し、新かまどを築き、お祓いを当地の産土神社の山本神主に頼んでいたが、たまたま他に出向いて留守であったために、お祓いもせずに新かまどに火を燃やしたのは九月十一日のことであった。
 ところが去年新造の大桶のたががはじけ切れて、一石五斗の清酒はことごとく流れてかまどの中に入り、一時に火焔となって火事騒ぎとなった。火事は不思議にも大事に至らずにすんだが、これは浄めのお祓いもせずに新かまどを使ったためであろう、ということになり、先の宮崎神官を船で迎えに行き、山本神主にかまど浄めのご祈祷をしてもらったのである。ところで市治郎氏は火事の少し前からまた急に寝こんだので、十二日宮崎神官、山本神主にご祈祷をしてもらったところ、再び熊太郎霊が市治郎氏の口を借りて語りだした。

 「このたび当家の火難は、七、八日前からその兆しが現れ、幽界のほうではよくそのことが分かっていた。そこで何とか知らせようといろいろやってみたが、誰一人としてそのことを悟ってくれる者がない。そのうちいよいよ火災の兆候が盛んとなってきたので、急いで当家を守護しようと思ったが、悲しいかな拠りどころがないので、またまた市治郎の身体に憑いて、今日火災の起きる少し前より念力をこらして、漸く消し止めたのである。云云」と。

 そのとき、山本神主が「当家では火難にあったために主人より家運長久の祈祷を頼まれ、昨日よりそのご祈祷を取り行ったが、このご祈祷で当家の凶運は消失するものですか?もしそのことが叶わずというのであれば、どうしたらこの難を免れることができるのですか?ご存じであれば教えていただきたい」と尋ねると、幽魂は答えた。
 「あなた方の心をこめたご祈祷によって、その凶運は免れることができます。この祈念によって災厄を免れるという根本的道理は、私ごとき霊魂にはまだ知ることができませんが、先月神法によってお祓いなどをしていただいたお陰で、それまで数百年間も住みなれた墓地に帰ってみると、にわかにその地がけがらわしくなっていて、再び住み得ないほどに私の霊は昇級しており、止むなく樹上などにおったりいたしました。この実状から考えてみて、その神法のいかに有難いものかは推察することができます。一家の凶運が迫っているとしても、その尊い法によってどうして災いを免れ、消失しないことがありましょうぞ。そしてまた今は主人を始め、家内一同心から不行き届きの過ちを後悔している誠意があるから、運が開ける緒となることは確かである」と。
 普通の人の思いは「拝んでみたところで、何の足しになるものか」というものであろう。
 しかし熊太郎霊の言葉にあるように、祈祷によって霊魂が昇級するのであるから、秘法による祈祷、正しい祈り、正しい供養は、仏天にも、幽魂にも通じるものなのである。この理を信じて、仏さま、神さま、ご先祖さまを大切にお祀りして、そのご加護をいただき、お幸せにお暮らしていただきたいと念願する次第である。

〈怨霊変じて、加護霊となる〉
 「(九月十七日の夜、市治郎は)ふとそのまま眠気づき、ウトウトとなりし時、いずくよりともなく、いとすずやかなる声にて「市治郎起きよ起きよ」という声聞こゆ。誰なるかと思いて臥せたるまま後方を見ればヽ年齢二十歳余りにて色白く、髪は総髪にて眼光鋭く、身には黒羽二重の袷ようのものを一枚着したる人品卑しからぬ一人の武士佇みいたり。市治郎別に怪しとも思わず「其許は何人にや」と問うに、頭を打ち振りて返事はなし。よりて市治郎は床の上に起き上がり、右の武士に向かいて座れば「月一ぱいなるぞ」との言葉なり。やがて件の武士は市治郎が背後にまわり、乱れたる市治郎の髪を掻き上げ、頭から肩先き、それから腰までも段々に揉み和らげつつ、撫でて呉れる心地よさ、総身自ずと汗ぱみて、ツイうつらうつらとするほどに、またも『起きよ』という。眼を開きて見れば、その人行燈の火にてタバコを吸みおりしが、つと立ちて、こんどは前の方に廻りて胸より腹、それから両脇下までも撫で和らぐることやや久しく、市治郎いよいよ心地よきまま、ふとその人の背部を見るに、そこには①の形の紋所付きいたり、その人『長らくの問汝を悩ましたるは、はなはだ気の毒なり。されどこれにて身体は次第に本復すべし』と、述ぷると同時にたちまち煙の如く消え失せたり」
 以上の一節は、吉富養貞医師の九月十九日の記述によるものである。

 この市治郎氏の身体を撫でてくれた若侍は、泉熊太郎霊であることは明らかである。市治郎氏は侍の姿が、たちまち煙のように消えてしまったので打ち驚き、今まで見えていたあの姿は、実は人間ではなかったことに気づいた。すると急に恐ろしくなって妻を呼び起こして、薬をあたためさせ、それを飲んだころには、夜はほのぽのと明けて次第に明るくなってきた。

 翌十八日の朝、市治郎氏は父伝四郎、医師吉富養貞氏を呼んで、夜中に起きた不思議なことをくわしく物語った。その朝から市治郎氏の心地は非常に穏やかとなり「八月以来の頭痛が、今朝は洗い上げたように気分がよい」とのこと。吉富医師が脈をみると、病気はほとんど平癒していたという。
 その後市治郎氏は日を追うて軽快となり、霊から聞いた通り九月二十九日頃には平常となって、十月一日には産土神に参籠し、四日には供一人を連れて宮崎神官のところへお礼に参上したのであった。

 翌天保十一年六月に岡崎家では石工に高さ二尺二寸の石碑を造らせ、碑面には市治郎氏の見た紋所と「高峰天神」の四文字を刻み、裏面には幽魂の自筆の「七月四日」を刻み、当地の産土神社の一隅に建立し落成したのは、七月四日のことであった。
 不思議なことには泉熊太郎霊の予言はことごとく皆的中し、七年の内に伝四郎氏は下浦の大庄屋役、また市治郎氏は浦庄屋役となり、家族が殖えて二十八人となったという。
 先には無念のあまり切腹して果てた侍の熊太郎霊は―金は盗まれ、葬式はおろか、石碑を建てることもせず、砂をかけて埋められたことに対する腹立ちから―代々の人に崇りをしていたが、石碑を建ててお祀りすることを約束すると、今度は岡崎一家の安泰を護ってくれるようになり(火難を最小限に止めてくれた)、また長らくの間悩ました市治郎氏の身体の調子が早く良くなるようにと、あの世から霊的マッサージに来てくれたりするのである。

 熊太郎霊は「すでにかく我を神霊として祀り下さる上は、仮令以前われに対して無法の所為ありとて、今さら何を怨みとせん。過ぎつることを繰りかえすは、武士たるもののなすまじき業なり。太刀だに貴家(宮崎神官)に伝え下さらば、我に取りてこの上の悦びはなし。また当家の者も、我を神として、怠らず祀りくれなば、つとめて家運守護の任にあたるべし。……今まで故ありて当家に崇りたる罪深き身の、神と祀られしばかりに、その報いとして当家を守護するまでのつたなき霊なれば、広く世の人を救わんことなど思いも寄らず。……そのほかいささか末の不幸災厄は免れぬかも知れねど、そは世の常のことなれば、深く思い煩うにも及ばじ。なお以後この家に変事もあらぱ、我が力の及ぶ限りは、必ず守護にあたるものと心得られよ」といっている。

 したがって「怨霊」だといって、嫌い恐れ、ただもう離れ去ってくれることのみを祈るのではなく、この霊が成仏できるように、お祈りし配慮してあげるところに、憑かれた市治郎氏白身と一家が助かるようになるのである。
 熊太郎霊は「顕界にて受けたる無念は、顕界より解きてもらわねば賓(は)るることなし」といっているが、市治郎氏のご先祖が、熊太郎霊に恨まれるようなことをしたのだから、その償いを子孫の者はしてあげなければならない。それをしてあげたならば、「怨霊変じて、加護霊となる」というあの世とこの世とを一貫している道理を知って、市治郎氏も熊太郎霊も、ともに救われるお祈りをしてあげるというのが、本当のご祈祷というものである。摂受のない折伏だけの祈りでは、あの世の霊が本当に救われていないことを、知らなければならない。
 お大師さまの教えは実に温かな教えで、ともにどちらも救われるご祈祷を基本としている。(以上)

2015-08-19 14:14:41

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ご不要の念珠供養いたします

●ご不要の念珠 ご供養いたします!

ご不要の念珠 ご供養いたします!

 

■当店では、毎年11月23日(祝)京都修学院 赤山禅院での供養会で、お預かりしたご家庭のご不要なお数珠をお焚き上げしていただいております。
お気軽にお持ち込み下さい。
当店が責任を持ってお届けいたします。

なおご供養料としてご志納金を承っております。一口千円で何個でも結構です。
当店へお持ちいただく期限は、毎年10月末日です。厳守でお願いします。

■当店では、房やヒモ、玉等のお取り替えなど数珠の修理も承っています。ご相談をお待ちしています。

数珠供養法要会
毎年11月23日(祝)京都修学院赤山禅院に於て珠数供養が執行されています。
古珠数を当店へお預け下さればご丁重にお焚上げしていただきます。

2015-08-19 14:13:04

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仲の良い夫婦は「家系の濾過装置」

●仲の良い夫婦は「家系の濾過ろか装置」  「新・家系の科学」与那嶺正勝著 より

ここで、家系盛衰のポイントとなる、家系のなかの「夫婦」というものの存在について考えてみましょう。 人は一生を生きる間にも、ずいぶんと多くの人たちのいろいろな浮き沈みを見ます。それにはたいてい「あの人はああだったからこうなった」というような理由がわかります。

 真面目に働いたので財産を残したとか、玉の輿に乗って一族がみんな栄えたとか、逆に経理に売上金を持ち逃げされて倒産してしまったとか、お嫁さんが悪くて吸い取られたとか、直接的な理由はわがりやすいものです。しかし、それを家系というもう少し長いモノサシで見ると、別の要素が見えてきます。 家運が隆盛する、逆に衰退するという場合その節目節目には必ず一組の夫婦がいるのです。そしてその夫婦の在り様、生き方によって、その家運がカーブするか上昇するか下降するかが、決まるのです。

 これまでの例でも見てきたように、夫婦仲が良ければ発展し、離婚や不倫の問題が出てくると、没落していきます。このように夫婦仲の善し悪しは、そのままダイレクトに家系の没落の原因や上昇発展の原因になります。 私たちは仲良き夫婦を「家系の濾過装置」とも呼んでいます。

 縦横の法則をもって生まれてきた子供にその運勢がどのように出るかは、その両親である夫婦の関係によって左右されます。夫婦仲が良ければ、良い遺伝因子がより優性的に出ますし、悪ければ、加重された形で悪因縁が増幅されることになります。

 子供が先祖の良い背景をもって生まれてきた場合でも、両親の夫婦関係の影響を受けます。夫婦仲が良ければ、その良い背景はさらに素晴らしいものとしてその遺伝子に刻印されるようなのです。

「どうも背景となる先祖が良くない」というときにも、まず自分の世代で遺伝子を変える。そのために自分たちの夫婦仲を良くする、ということを考えるべきでしょう。家系の悪い運勢を振り払うには、きわめて常識的なようですが、夫婦仲を良くすることだ、というのが二万件以上の家系調査による家系未来学の一つの結論なのです。

 傾きかけた家系が盛り返す、あるいは良い家系の家運がさらにどんどん上昇する、そういう家系の共通項として浮かび上がってきたのが、実はこの「夫婦仲」ということでした。

 この夫婦仲というものが濾過装置となって、家系の悪い背景の要素がたしかに減少し、また隆盛になっていくのです。

2015-08-19 14:07:38

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オリジナル・都市型浜仏壇 (正面全面ステンドグラス採用)

オリジナル・都市型浜仏壇 (正面全面ステンドグラス採用)

 

オリジナル・都市型浜仏壇 (正面全面ステンドグラス採用)

 

オリジナル・都市型浜仏壇 (正面全面ステンドグラス採用)

オリジナル・都市型浜仏壇 (正面全面ステンドグラス採用)

 

オリジナル・都市型浜仏壇 (正面全面ステンドグラス採用)

   

和室のないマンションのリビングにも設置していただけるよう、浜壇のイメージを残しながら外観や内部のデザインをインテリア調に。

明るさと斬新さをステンドグラスが醸し出しています。

2015-08-19 14:03:10

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